DATE : 1994.08.10
TEXT : 2003.01.01
例年であれば9月に開催される三沢基地航空祭。しかしこの1994年はアメリカ空軍のアクロバットチーム“サンダーバーズ”の来日に合わせて8月10日水曜日に開催されました。
サンダーバーズのフライトが日本で一般公開されるのは1959年(使用機がF-100の頃)以来実に35年ぶり、これを見逃したらまた30年は見られないかもしれない(?)ということで三沢に出発!私が北海道外の航空祭を見に行くのはこれが初めてでした(というより修学旅行等を除いて自ら道外に出るのが初めて)。
それまで私は飛行機を写真に撮るという考えを持って無かったのですが、せっかく三沢まで来て何も残さないのは勿体無いと思い、急遽レンズ付きフィルムを調達して撮ったのがこれらの写真です。なので粒子が粗く不鮮明で、望遠も無いから飛んでる飛行機が小さくしか写ってないのですが、それでも当時の様子がわかります。
しかしこれが私が飛行機の写真(画像)を撮るきっかけとなったのでした。
三沢基地正門でに立てられているF-16像。今もありますが、テイルレターが現在の“WW”ではなく当時使われていた“MJ”となっています。部隊名も35FWではなく432FWでした。 |
ブルーとバーズが共にならぶ三沢基地のエプロン。この日はとても天気が良かったのですが、午前中はちょっともやがかかっていました。 |
1997年にF-4飛行隊に変ってしまう第8飛行隊も当時はまだF-1。 |
US-1がゆったりと置けるほど広い三沢のエプロン。後方にはEA-6B、U-125、T-2が見えます。 |
MJレターのF-16C。ブロック50への更新が始まっていた頃ですがこれは30だったかな? |
今やグレイ迷彩が標準となり、すっかり見られなくなったリザード迷彩のA-10。 |
巨大なC-5ギャラクシー。これも現在ではグレイ一色の塗装となっていますが、当時はこのようなグリーン系の迷彩が標準でした。 |
嘉手納から来るZZレターのF-15Cは今でも見られますが、黄色いスコードロンカラーの12FS所属機となると今では見られません。 |
E-3セントリー。初めて見た。 |
バーズが午後に飛ぶためブルーの飛行展示は午前中に行われました。 T-2ブルーの特徴だった離陸時のトーチング(スモークにアフターバーナーの炎が引火したもの)が見えます。離陸後はそのまま真っ直ぐ飛んでいってしまいます。 |
T-4の今でも行われているチェンジオーバーターン。T-2時代は6機で行っていました。 |
チェンジオーバーターン続き。昨年(2002年)はT-4ブルー6機体勢の復活が話題になりましたが、実はこの1994年も91年の事故以来行われていなかった6機での飛行展示がこの3日前(8月7日)に開催された千歳基地航空祭で復活したという年でした。 |
上向き空中開花の次に行われる4プレーンズクロス。 |
午後、いよいよサンダーバーズが滑走路に向かいます。会場、日傘が目立ちますが8月の太陽が照り付け物凄く暑いのです。 |
離陸!短い滑走距離、エンジンの大音響。T-2を使ってるブルーとは機体性能の差があり過ぎ。 |
バーズ独特のフォーメーション“ファイブカード”隊形で行うループ。 |
デルタループ。平日開催ながらこの雲一つ無い青空とバーズ効果で来場者は13万人にもなりました。 |
編隊とソロが交差! 他には小さすぎてサムネイル作るまでもない写真がこれとかこれとか…。 |
全飛行展示終了後トーイングされるバーズのF-16。後方の滑走路上では(小さくてわかりづらいですが)帰投離陸前のブルーのT-2がスモークをあげています。 |
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というわけで今から8年半ぐらい前の航空祭、8年程度じゃそんなに今と変わらないように思えたのですが、こうして見ると結構違いがありますねぇ。
やはりT-2ブルーインパルスが懐かしいです。
それにしてもサンダーバーズは凄かった!特に密集編隊での飛行は4機なのにまるで1機の飛行機が飛んでいるように見えました。またソロが各課目終了後くるっとロールしてからブレイクするなど細かいところでもブルーとの違いが見られ感心させられました。これはブルーもT-4になってから行っていますが、このバーズの来日はブルーにもかなり影響を与えたそうです。
こんな素晴らしい祭典を今みたいにビデオカメラに残せてたらどんなに良かったろうと思いますが、当時学生の私にそんな高価なものが買えるはずも無く、家にもそんなものはありませんでした。
次はまた35年後かと思われたバーズの来日は意外にも6年後の2000年に再び三沢で予定されましたが、開催直前の9月11日に例のテロ事件が起きてしまい中止になってしまったのは記憶に新しいところです。ハレー彗星は無理でもバーズの来日は生きてるうちにまた見たいなぁ。